2017年12月31日日曜日

通過してゆく ー 2017年自選59首

I 季節風


春風が今日の始発の改札をくぐりましたと気象予報士

出社するサラリーマンは戸惑ってチューリップの花束を買う

終バスも去った団地の街灯に鬼まかり通り花冷えの夜

ひとり ひとり 名を呼びながら桜降るネガフィルムを燃やしていった




永遠に続く音楽などなくて梅雨入りの日の原価計算

郵便配達ではないな 雨音に足音まじる病欠の午後

雨おとの骨董市で語りつぐノッテイングハムのまやかしの薔薇

向日葵の束をかかえて地下鉄に乗る人がいる梅雨があけた日




本箱で窓がかくされその裏は校庭らしい二年めの夏

書きおえたあともしばらく鳥達は詩の形して夏空にいた

早逝の幼馴染が夢にきて見知らぬ祭りに誘おうとする

浅夢にうすだいだいをただよわせ浴衣ほのかに西瓜の匂い




びいどろのような暮らしが初秋にながれてひとり縦笛をふく

コンビニのこわれたドアが直されぬ街で夕陽を数えつづけて

なにひとつ残さず消えてゆく秋にワイングラスのアンカーを打つ

晩秋の銀杏並木の輝きへゆっくりのぼる地下鉄出口




冬にゆく電車の中に老人の仮面をつけて座る人々

引き返す可能性ある千歳行き最終便がゲートはなれる

冬空を支えきれずに電圧が流れ去るまま立ちすくむ塔

あしおとが梢の黒くさししめす方にとおのき たましいの冬




II 過ごした日々


終着駅ばかりの街で舶来の新聞を売り暮らしているのさ

改札で軽くSuicaをタッチしてつぶしてしまう日々の凹

世を避ける言葉はうまくなったけど空気に少し朱色がまざった

最上階の数字を越えて上がり続ける ぼくのせいではない




自転車で歩道をふさぎ立ち去れる人こそ勝者と書店に平積み

コンビニに棄てられている生ごみのメイクアメリカグレイトアゲーン

伝説は作られるのだと空を舞い星を無理やりつなぎはじめた

Mind the gap 不況が来るぞ Mind the gap 煤けた壁に駅の怪人




百年後、キラキラネームのおばあちゃん溢れる舞浜がありますように

デコポンが旬になったら好きなだけ食べて死ぬほど贅沢させて

怒りっぽくなりましたか?レントゲン画像に硬くしぼんだ胡桃

首都高の霧のカーブの助手席でもっと飛ばせと叫ぶ老人




誰一人返事しない昼ふりむくとセイタカアワダチソウの絶滅

あの部屋は四季がないんだ見るたびに肥大してゆく観葉植物

文房具売場が悲しい  ってやはり変かな 空白のページしかない

ここだよね めちゃくちゃ楽しかったよね 花束置いて立ち去った人

ラジカセを持って踊ろう薄明の砂浜にえがく1987




III 空ゆく船



空にもうたどり着けない朽ちはてたエスカレータに足のせたまま

帰ったあとご飯も食べず、まっくらな部屋から川を見ていた

困惑しているのだ  空が鮮緑の毛細血管に侵されてゆく

明け方に出発ロビーにいる 自分2.0へのアップグレード

書くほどの掟はなくて僕達はスマホかざして風に乗りこむ

今ちょうど離陸時刻か 玄関で夕陽を浴びてゆれるコスモス

秋空を上昇します駆けめぐる羊の群れにご注意ください

鳥達の死を無駄にはしないよ 微弱電波とらえた無線機




VI 鉄道事変


冷えきった家でみかんを剥いている きっと乗り遅れたのだろう

持ってきた蜜柑も腐ってしまって 中央線に夕陽まぶしく

ホームからお客様が転落し二日おくれる世界のおわり

この世界の車掌はぼくだ ひしめきあう人のうしろで為すすべもなく




VI 年の終わりに


夕刊に秒針が降りつもるほど静かな朔に星を奏でて

深夜まで朝刊を置くコンビニで一日遅れて世の息をつく

帰宅する歩数をむらさきのペンで手帳に書きつらねていた 

残量が10パーセントで伝えきり僅かに再起動される息



北山の方からしぐれて面影は大路をさがり格子戸にきえて

たましいは空に満ちたか氷はる朝に比叡のいただき白く

みぞおちの白磁のように定まってとてもながく息をはきだす




全電源喪失した宇宙船できみが見つめる透明な薔薇

残り者どうしで並び星空を見上げて、あれがペットボトル座

夕風が木々の信号を変えたなら十一月の急行でゆけ



「かばん」2017年1月号〜12月号、「うたつかい」2017年春号、「みずつき」第6号に発表

2017年12月21日木曜日

谷岡亜紀歌集「闇市」

(シーン1)
 夕月は避雷針の上に昇りたり大恐慌の前の東京
 女らが茸のごとく立つ駅を過ぎて恐怖の待つ街へ来つ
 「俺は・・・俺は・・・」おれは今夜もポストなり赤く塗られてただ口あけて

幻視ではない。これは耳をふさいで駅の雑踏を通り過ぎる者にとって、実景だ。なすすべもなく繋がっていなければならない日々という現実は、この作品そのものではないか。

(シーン2)
 歳月を押し流しゆく朝焼けの西頁川の橋の上の犬
                        (西頁 サイゴン)
戦争のあとの街で、歪んで染みた天井のある宿で、路地の人々にまぎれて安らぐ。政治や社会批評ではなく、悲劇の残像を追い、隙間に落ちたものにシンクロするための土地をもとめる。喪失を確認するための旅がつづく。

 エア・メール三通出してそののちは暑く眠たい中華街の夏
 めまいして仰げばいまだこの空に落下の形とどめいる人

二首目「めまいして、、」で作者は、9・11テロの跡に立っている。目眩を感じたのは、幻視の前。たしかに悲劇があった場所では、目眩がしたあと、その場面がフィルムのように再現されるような気がする。「形とどめいる」が、惨劇の記憶が残っていることと、人の形が空に貼り付いている幻視とを重ね合わせる。

 この世とはあるいは大きな駅ならん最終電車を灯の下に待つ

この世は駅、どこかに向かうための駅。でも、その駅を出発する列車はどこに向かうのだろうか。
きっと外国の駅なんだ。外国の駅はたいがい、不自然に大きいので。

(シーン3)
連作「歌舞伎CITY」。連作の始めに灯ったネオンが、明け方になってもまだ残っている。

 半世紀どこさまよいていし人か復員兵のごとく歩み来
 行方なく行けば箱庭療法のごとき街なり傘に溢れて
 歩めるは哈爾賓帰りの女らか影揺らぎつつ我を過ぎゆく

街に暴力があるのではなく、街が暴力そのものなのだ。50年たってもまだ、戦争から戻ったばかりの男や、満州から引き上げてきたとひと目で分かる女がいる街なのだ。

世界のどこかに、歩き疲れた自分が取り残されている。その自分が読んでいるのはきっと、この歌集だろう。また旅に出たくなった。


=引用歌はすべて、谷岡亜紀歌集「闇市」雁書館 2006年 からです。

2017年11月23日木曜日

歌集・それはとても速くて永い 法橋ひらく

 いつの間に、こんなに率直に気持ちを表現できるものになったんだろう、、、短歌の変わりように、ぼくは迂闊にも三十年も気が付かなかった。二年前、そんなショックを受けて買った若い歌人の歌集が二冊ある。その一冊が法橋ひらく『それはとても速くて永い』だった。ずいぶん歳の違う作者なのに、作品は読んで懐かしい気がした。(ちなみに、その時買ったもう一冊は、藤本玲未「オーロラのお針子」だった)

 閉塞感、疎外感、一言で言えばそんなところなのだろう。現実に生きているような気がしない。その真っ只中にいた頃の気持ちを、法橋ひらくの作品は言い当ていると思った。『それはとても速くて永い』は、「現代の若者」が「失われた二十年」で打ちひしがれて生まれた歌集ではない。生きにくいのは「生」の本質であり永遠の矛盾だ、と示してくれる歌集なのだ。

 『それはとても速くて永い』法橋ひらく第一歌集批評会が2018年1月27日(土)に開催されるのを期に、歌集から十首、鑑賞を記した。

  どれだけ覚えておけるんやろう真夜中の砂丘を駆けて花火を上げた
 
 忘れてしまうことへの不安を冒頭に掲げるこの作品で『それはとても速くて永い』は始まる。花火は記憶の目印になるような過去の何かだと思う。真夜中の砂丘の闇と、花火。駆けていたのは作者の心の中に流れる時なのだろう。歌集の最初が時間や追憶の一首であること、大阪言葉であることが注目される。作者の記憶は大阪言葉でできているはずだから。

  交わっていつかほどけていく日々が交わったんだ ほどけても、なお

 別れと、とても淡い再会があったのか。別れたあとも想いは残っていたから再会に気づくことができた。でも、そう気づいたのは会った後。

  サボテンに水をあたえる 寂しさに他の呼び名をふたつあたえる

感情があるようには見えないサボテンに名前を付けて育てる人。寂しくなるとサボテンに名をつける。また、つける。さらに、つける。その名前は誰の名前?

  夜という毛布の下で(青いのは戦火だろうか)やがて砂嵐

 仕事で帰りが遅くなり、テレビニュースを観ながら疲れてうとうととしているのか。遠い戦争と、自分自身の昼間の喧騒の間に夜が横たわる。

  自閉する日々にも秋の降るように惑星は優しく地軸を傾ぐ

 惑星を、ほし、と読ませている。我々が住む惑星だろう。四季は地軸の傾きで生じる。季節は地球の頷きなのだ。法橋ひらくの短歌は、その星の四季を、宇宙のどこか別の場所に膝を抱えて座って見つめているような味わいがある。

  信号はことごとく青なにもかも奇跡みたいな夜だ かなしい

 四句目までは分かる。ではなぜ唐突に、かなしいのか。奇跡のような夜を迎えて自分だけが奇跡ではないこと?でも、この結句は、かなしい、以外の感情は当てはまらない。

  性嫌悪癒せないまま三十歳を迎えた朝のストロベリージャム

 三十歳は、ここでは、さんじゅう、と読む。癒せないまま、に引っかかりがある。コンプレックスなのか。確かにストロベリージャムにセクシー感はないけど。

  流されて吹き寄せられて川をゆく花びらみたい 手を振るから

 花びらは誰だろう。手を降っているのは、誰に?美しく楽しげな作品。でも、この川はきっと、現実ではない。

  風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか

 風に飛ばされたレジ袋は、そう言えばどこに行ってしまうのだろうか。上句で作られたイメージが下句の問いかけを際立たせている。こう問いかける気持ちは、時代背景だけが作るものではないと思う。

  黄金の羊を抱いて会いにゆくそれからのことは考えてない

 「それはとても速くて永い」の結びの一首。黄金の羊は象徴的だけれど、富とか成功ではなく、とても大切にしている自己のイメージでは。会いにゆく、は、幻想しているのだろう。それからのことは考えていない、ので、現実とはまだ結びついていない。
 実は、法橋ひらくの作品には、黄金や花火、お祭り、というモチーフが度々、登場する。人生の時間が過ぎるに従ってモチーフがどう進化するか、今後の作品にさらに期待したい。

(作品は『それはとても速くて永い』法橋ひらく 書肆侃侃房 2015年 から引用しました。)

『それはとても速くて永い』法橋ひらく第一歌集批評会 申し込みページから、あなたの推し歌が送れます。
             http://soretote.wixsite.com/soretote

2017年11月1日水曜日

歌集「オワーズから始まった。」白井 健康 を読む

  三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う  「たましいひとつ」

 歌集の最初であらかじめ作者が向き合っている現実が明らかにされているので、読者は、この夥しい数のけものが口蹄疫の防疫の殺処分となった家畜と、容易に想像できる。その現実と、南瓜畑に降る雨はたぶん、繋がりを持たない。作者はただ、静かな雨の中に立っている。すると、彼の感性が殺処分された家畜の気配を受信するのだ。

  この森が深く大きく息を吐き六百頭の牛が溺れる        「まだ動いてる」

 動物の命を助ける職業にある作者が殺処分という仕事をせざるを得なくなる、という、重たい現実。だから「たましいひとつ」三十首にはじまるこの歌集の第一部は挽歌なのだろうけれど、それはとても静かな挽歌だ。静寂はどこから来るのか。

  二十一ナノメートルのウイルスの螺旋のなかのオワーズのひかり「たましいひとつ」

 オワーズは口蹄疫ウイルスが発見された町の名。螺旋はDNAだろう。だから確かにこのウイルスのDNAにはフランスの町の光景が刻まれているかもしれない。動物の疫病の悲惨さを逆照射する意図もあるかもしれない。だが大切なのは、作者はここでも、現実とは意味の繋がりを持たない、詩人だけに見える光、詩人だけに聴こえる音を感じ、それを表現しようとしていることだ。

 歌集の第二部以降は、結社誌に発表された作品群。言葉の自由な飛躍が楽しい。

  臨床は海の揺らぎと思うとき離島の数だけ問診をする        「苺が匂う」

 現実はミュートされ、詩の調べだけが聴こえる。詩人は喧騒の中で一人だけ違う音を聴きながら、立っている。作品を作る。だから上質な詩は、しんとしていて、現実を中和する作用がある。これが詩の存在意義だと思う。詩があるから現実の中で生きていられる、それを詩人と言う。「オワーズから始まった。」は、詩がその役割を十分に果たした歌集だ。

「オワーズから始まった。」白井 健康 書肆侃々房 2017年



2017年9月1日金曜日

住宅顕信 全俳句集全実像 池畑秀一監修 を読む 15/1111

 1987年に25歳で病のため、短くも激しい人生を閉じた俳人がいた。広く世に知られるようになったのは2002年、精神科医・香山リカ「いつかまた会える―顕信:人生を駆け抜けた詩人」(中央公論新社)がきっかけだ。15年を経過した今年、住宅顕信(すみたくけんしん)を描いた映画「ずぶぬれて石ころ」のクラウドファンディングが成功し制作が進んでいる。
 当書「住宅顕信全俳句集全実像」(小学館 2003年)はその顕信の顕信の全句集である。顕信の死の翌年に発行された句集「未完成」もの281句に加え、未発表の作品も収められている。

彼の作品を幾つか読んでみよう。 

  窓に病人ばかりがたえている冬空
  虫がはりついたまま冬の窓となる

病室と窓から見える光景が世界のすべて。世界と対峙するように、窓の反射に自分の命が見えている。

  坐ることができて昼の雨となる
  車椅子の低い視線が春を見つけた

やっとベッドの上に座って見渡した世界。車椅子からの視線。病を得ると視線のアングルは低くなる。まさに世界を底から見つめているような感じになる。

  曇り空重く話くいちがっている

告げられている病名は本当なのか。苛立ち。

  聞こえない鳥が鳴いているという

病は耳に進んだのだろうか。逃れられない苦しみ。

 当書は顕信の作品と、ルポライター・佐々木ゆりによる彼の生涯のドキュメンタリーが交互に配置され、読者には作品と生涯を重ね合わせて読むように構成されている。一般論としては、作者の人生が作品の前景に出過ぎると、作品の鑑賞を妨げる。だが、顕信の場合は作品群が未完に終わっており、このような補強は必要だろうと思う。実際、作品の切実さは、背景を知らないと理解しがたいかもしれず、彼がたぶん、突き詰めようとしていたであろう「生死」については、取り組む糸口が見えてきた、ぐらいのところで終わっているように思える。

 香山リカさんは顕信に、尾崎豊に通じるものを見ている。確かに顕信の作品は、叫びから生まれてきた。顕信がボロボロになるまで句集を愛読した尾崎放哉の作品も、そうだろう。

俳句は詩が成立する最小単位ではないか、と思う。対象を一点に絞り、動きや形容を一つだけ付け加える。それだけで、ある一瞬の世界を表現してしまう。顕信は、その一瞬、見えた世界に、生きる切実さを乗せた。世界との一期一会、とはそういうものだと思う。だから彼の作品には「切っ先」を感じるのだ。短歌や俳句の作者が鍛えなければならないのは、ちょっと気の利いた表現ではなく、「切っ先」だろう。


「住宅顕信 全俳句集全実像」池畑秀一監修 小学館 2003年

2017年8月17日木曜日

山頭火と四国遍路 横山良一(写真と文)を読む 14/1111


 まつすぐな道でさみしい

 どうしようもないわたしが歩いてゐる

 けふもいちにち風をあるいてきた

 わたしひとりの音させてゐる

 旅のつかれの、何かおとしたやうな

 雨だれの音も年とつた

 図書館で本棚を眺めているうちに山頭火を読みたくなって借りてきた。 「山頭火と四国遍路」という、平凡社コロナ・ブックスの一冊。 写真と文は、横山良一。世界を旅して「ポップドキュメンタリー」というコンセプトで写真を発表し続けている、と、著者紹介にある。 「四国遍路」全4巻という写真集もある。山頭火の四国遍路を追う写真はとても良く、それに織り交ぜて山頭火の俳句がたぶん二百句ぐらい紹介されている。短い夏休みに楽しめる本だった。山頭火の作品は自然の中を放浪する光景と一瞬の感傷を見事に捉えていて、わかりやすく、読みやすい。
 
 だが、自然の中に農村の生活が配置された光景は都市圏以外でも1980年代に姿を消し始め、21世紀に入ってから急速に失われている。山頭火の俳句は、その失われた自然の光景を背景に作られたものが多く、現代の読者には作品の風景を想像しづらいかもしれない。この場合、この書のような作品と写真の組み合わせは鑑賞に極めて有効な手段だと思う。

 そもそも漂泊ということが分かりにくくなっているだろう。人生や成功のコースがしっかり見えていた時代に、その路線で走るはずだったのに様々な事情でコースから外れてしまった人、あるいはコースを拒否した人は、隠遁して姿を隠した。もっと過激に示すためには、定住せず各地を転々とすることも可能だった。経済的には困窮しただろうけれど、社会の中には必ずそういう人たちがいるということが認められていた。漂泊から種田山頭火や尾崎放哉の俳句のような文学が生まれた。歌人の若山牧水もこの範疇に入るかもしれない。
 顕著であるか潜在的であるかにかかわらず、座標軸からはずれた心のために文学はあるのだ、と思う。だが今は、隠遁や漂泊の存在を否定するような世の中になってはいないか。

 自然が失われ漂泊が失われると、山頭火の俳句は読まれなくなってしまうのだろうか。受け継がれないのか。自然と一体化している作品は難しいかもしれない。
注目しているのは、冒頭に引用したような作品だ。山頭火の句集「草木塔」(草木を供養する塔は本当にあるらしい。かくの如く自然やそれにまつわる習慣の記憶は失われていく)からさらに引用すると、

 うしろすがたのしぐれてゆくか

 あれこれ食べるものはあつて風の一日

 わかれてきた道がまつすぐ

 風の中おのれを責めつつ歩く

 自然への依存は最小限で、心の叫びや心情をストレートに言葉に載せている。山頭火を良く知り、彼が歩いた自然に自分も親しんだ経験を持つ世代は、読むたびに、既に山頭火として周知の人物像や光景が全部、浮かんできて、従来どおりの山頭火を鑑賞してしまうだろう。だが、昔の光景を知らない世代はここに「棒立ち」の短歌の原型を見出すのではないか。
 やや感傷が強すぎるものの、「自己意識そのものがフラット化」「修辞レベルでの武装解除」(穂村弘「短歌の友人」棒立ちの歌)に、俳句では既に戦前、種田山頭火が辿り着いていたのかもしれない。そして、時代を越えて読み継がれていくのは結局、等身大の心の姿なのだ、と思う。
 「草木塔」の後書きで山頭火は書いている。「うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。」 現代の「棒立ち」の作品の中にどんな叫びが聴こえるか、注目していこうと思う。

 燃えに燃ゆる火なりうつくしく  種田山頭火



「山頭火と四国遍路」横山良一(写真と文)新潮社・2003年


(注)俳句の引用は青空文庫「草木塔」種田山頭火より。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000146/files/749_34457.html

2017年8月12日土曜日

残(のこん)の月 大道寺将司句集 を読む 13/1111

 歌人・福島泰樹が毎月10日、行っている短歌絶叫コンサート、今月8月は「残(のこん)の月」追悼 大道寺将司 として、獄中で病死した新左翼活動家に捧げられた。
 大道寺将司は1960年代、全共闘運動に身を投じ、70年代にはテロリストとして活動、1987年に死刑が確定し収監されたまま30年後の今年5月、亡くなっている。90年代後半より俳句を作り、2015年に上梓されたのが第四句集「残の月」だ。栞(解説)は福島泰樹。

 短歌絶叫コンサートは、俳人(福島泰樹は大道寺将司を俳士と呼んでいる)にして元テロリストへの共感に満ちていた。まず、チラシにも引用され福島泰樹が絶叫朗読した、大道寺の作品三句。これは第三句集となる「棺一基 大道寺将司全句集」からだろう。

棺一基四顧茫々と霞みけり
天日を隠してゆける黒揚羽
狼や残んの月を駆けゐたり

 棺、はもちろん作者が自分の死姿を幻視している。死刑であり病を得た身という運命。
黒揚羽はやはり死か、運命をイメージさせるが、もしかしたら挫折や裏切りか、とも思う。意味よりも黒揚羽の一言に集約される世界を読み取るのが俳句なのかもしれない。
狼、は作者の不屈の意志。

 福島泰樹は大道寺将司より五年歳上で、やはり全共闘運動の闘士だった。原体験としての壮絶な敗北、そして敗れた者たちへの深い共感が文学活動の原点になっていると思う。そもそも人間は、最後には死ぬという意味で、必ず敗者なのだ。
 その彼が大道寺の作品に読み取るのは、獄中で悔いつつも、なおも狼となって戦い続ける姿。

炎天に溢るる悔の無間なり
狼は繋がれ雲は迷ひけり
荒布揺る杜を汚染の水浸す

汚染の水、とは福島原発事故のことだ。
 そして、四季の移り変わりも身の自由もない牢獄で、想いを有季・定型の俳句という形に磨いていった、ということ。

とんぼうの影を墓石に映しけり

これは獄中の幻視なのだ。

 福島泰樹は絶叫コンサートで「残の月」に寄せた彼の解説を朗読した。
挫折してなお、言挙げし続ける歌人。悔い、死して、ついに敗北しなかった俳人。

「残の月」、そして第三句集「棺一基」の作品から、冬の冷たい水でナイフを洗うような印象を受ける。牢獄の中で、光景のわずかな記憶と意志の言葉を俳句の定型に凝縮していく作業が、言葉の持つ「詩」の純度を高めさせたのだ。
 福島泰樹の解説には引用されなかったが、印象深い二句を挙げておく。

冬の日の影従へて九段坂
狼の吠ゆる転瞬星移る

 プロパガンダではない。情念や叫び、あるいは心の中のモヤモヤしたもの、を詩の言葉に結晶させる、それが一行詩の役割の根源なのだ、と思う。




2017年8月5日土曜日

詩歌と戦争 中野敏男 を読む 12/1111

 「詩歌と戦争」は副題の「白秋と民衆、総力戦への道」が示す通り、北原白秋の童謡作品を題材に、戦前の童謡で良く歌われた郷愁がいつ、どのようにして成立したか、それがナショナリズム・植民地主義とどう結びついていったか、そして戦時下の民衆動員にいかに利用されたか、を述べた本だ。著者の中野敏男は社会学者でマックス・ウェーバーの研究者である。
 
 以下、本書の内容を簡単に追う。
 まず明治時代の文部省唱歌による「郷愁」の創出。故郷を想う心は故郷を離れなければ発生しない。明治期は農村から都会へ人口が移動、都会で労働者階層が形成され、かつアジア地域での戦争参加により兵士として日本を離れる人々が増えた時代だ。「故郷」「我は海の子」は国民の心情に軍国主義を植え付け、故国を敬う道具として作られた歌曲と言えよう。
 これに対抗して大正デモクラシーを背景に生まれた「赤い鳥」で活躍を始めたのが北原白秋。子供のありのままの自由な感情や表現を尊重する立場で児童詩投稿欄の選者を務めた。やがてそれは、童心こそ人間の本質と見た作品群「砂山」や「からたちの花」を生み出していく。
 一見、自由主義に見えるが、作品が郷愁をベースとした抒情だったのが、時代の限界であった。「みんなちりぢり。もう誰も見えぬ。かへろかへろよ、」(砂山)と歌う白秋の歌詞は、日本人はもともとこうだったのだ、という、感情からの「日本回帰」へと民衆を導く。日本は美しいという抒情、あるいは内向きのやさしさ、その本質はナショナリズム、あるいは他者の否認と暴力、なのだ。
 昭和初期になるといわゆるご当地ソングのような新民謡、社歌・校歌の類の、共同体を心情的に歌い上げる歌曲が大量に誕生し、東京音頭の大流行は、自警団組織としての町内会を象徴する盆踊りの櫓を全国に行き渡らせる。
 行きつくところは、国民の心情を戦争に駆り立てる心情動員。大政翼賛会文化部が発行した「詩歌翼賛」の副題は、日本精神の詩的昂揚のために、であった。
白秋は「紀元二千六百年旅頌」という作品でこれに参加した。

 抒情そのものに罪や政治性はない。が、抒情は批判を止揚する。しみじみとした感情の高まりは、現在にせよ過去のある一点にせよ、それを容認することを後押しする。抒情が共同体レベルで共有されると、その共同体の容認と共同体の外部にあるものの否定となり、意図せぬ結果を生みかねない。抒情の致命的な欠陥かもしれない。湧き上がる抒情や郷愁は、感情を削ぎ落として言語美のレベルまで高めるのが文学だと思う。そこまで至らないのなら、極めて個人的な心理の内面だけに作用するよう工夫するしかなさそうだ。











2012年5月刊 NHK出版・NHKブックス1191

2017年7月17日月曜日

世界の終わり / 始まり 倉阪鬼一郎歌集を読む 11/1111


短歌から遠く離れてふりかぶるバックネット直撃の球 (P71 短歌から遠く離れて)

 「風通しが悪く感じていた」(あとがき)、と、倉阪さんもおっしゃっている。1980年代前半の短歌シーンだ。文語・定型の短歌ばかりだった。鑑賞はゴテゴテした修飾に阻まれ、さほど面白くもない日常の写生は広く共感を呼ぶとは言い難かった。「風通しのいい短歌を詠む才能豊かな歌人はたくさんいて」(あとがき)という時代は、その後に来た。80年代、詩の才能がある若者は、文語による言語美を徹底的に追求しようとするごく少数の人たちを除いて、短歌を去ってしまったようだ。その中で特に才能のあった一人が、日常語で自由な表現が可能になった短歌の世界に帰ってきた。倉阪鬼一郎「世界の終わり / 始まり」だ。

かなしい色だね蒼天に空色の観覧車ゆるゆると上がり  (P6 空色の観覧車)

 歌集冒頭の一首は、8、5、5,5,8、という音数。日常語は5音と7音よりも5音と8音の組み合わせの方が韻律を形成しやすいのでは、と思う。七五調、五七調は調子が良く叙情的に響くが、必ずしも現代の日常語の音数と相性が良い訳ではない。日常語による、いろいろな音数の韻律詩が、もっとたくさん作られても良いと思うのだが、そうなっていないのはいかなる事情によるものか。倉阪鬼一郎はもちろん、事情になど迎合しない。音数律を自在に操る。それは定型・非定型などという議論を越えて、生き方そのもののようである。ちなみに、時にそれが定型となると、定型ですら、こんな風にのびのびと力を発揮する。

しなやかな透明のもの還りゆく冬の星座を遠く離れて (P21 鳥籠のない鳥)

 さて、倉阪鬼一郎の歌集ともなれば、読者は怪奇、幻想を期待するだろう。確かにそれがモチーフとなっている秀作が多い。(歌集を御覧いただきたく、引用はひかえます)
作風というよりも、世へのアンチテーゼが怪奇、幻想というモチーフとして現れているのだろう、と思う。定型に無理に当てはめないのと同じく、生き方なのだ。迎合せずやっていたら、怪奇小説、幻想小説を書く人生になっていたのでは。作者は原点を確認するために短歌に戻ってきたのかもしれない。
最後に、歌集の帯にも引用されている一首。

生まれる前から麻酔をかけられていたぼくたちはめざめる夜明けの廃墟 (P43 夜明けの廃墟)

 長年、生き方の定型に慣らされてきたぼくたちに、目覚めよ、と、メッセージを送っているようだ。











書肆侃侃房 現代歌人シリーズ14 2017年2月

2017年6月27日火曜日

河野瑤 短歌 ひめくり 2017夏

(河野瑤の自作短歌です。)

花散ったあとの五月は青過ぎて逃げかくれする息さえできない

永遠に続く音楽などなくて梅雨入りの日の原価計算


郵便配達ではないな 雨音に足音まじる病欠の午後


雨おとの骨董市で語りつぐノッテイングハムのまやかしの薔薇


うたごえがかなしい国の水面には紫陽花色が染みついていた


向日葵の束をかかえて地下鉄に乗る人がいる梅雨があけた日


本箱で窓がかくされその裏は校庭らしい二年めの夏


書きおえたあともしばらく鳥達は詩の形して夏空にいた


湾が見える方角に行くことにした水曜の朝のシマ猫と僕


漆黒に百日紅散る夢をみて電話の声をたしかめる朝


早逝の幼馴染が夢にきて見知らぬ祭りに誘おうとする


ここだよね めちゃくちゃ楽しかったよね 花束置いて立ち去った人


もうだめになってしまった八月のポオトレイトにずぶ濡れの犬



(初出)
歌誌「かばん」2017年6月号、「みずつき6  2017初夏」、かばん関西オンライン歌会


2017年6月15日木曜日

作歌のヒント 永田和宏 を読む (8/1111)

 長年、塔短歌会を主宰した永田和宏さんによる、短歌を詠むための手引書、さらには著者が冒頭の「新板によせて」で述べているように、とても読みやすい「短詩型表現論」である。
 言うまでもないが、著者は作歌の指導者として長く活躍されてきた方であり、短歌を作り始めた時に歌会などで良く指摘される問題点について網羅されている。
例えば、言葉をどれだけ省略できるか、念を入れない、駄目を押さない、結句でオチをつけない、など。
「言葉で説明すればわかるようなことは、歌にする必要はないのです。」(「形容詞で説明しない」)
 さらに、ぼくが言うのも口幅ったいけれど、比喩や反語の効果、歌の「読み」の意義の説明も絶妙。何度も読み返したくなる。例歌もアララギ系の近代短歌の代表作に加え、和歌からも厳選されている。この書が想定する読者層が慣れ親しんできた作品や時代を意識しているのかもしれない。
 また「歌会」の役割についての記述も是非、心にとめたい。確かに短歌は「座の文学」かもしれない。

 敢えて言えば、2007年に初版、2015年に改訂された書としては、定型や文語について記述がやや保守的では、と思われる。これも読者層を意識しているのかもしれない。文語・定型で短歌を詠む人たちの大半は、還暦を越えている。もっと若い人たちの中にも、文語で言葉の美を極めようとしている作者もいるけれど、今、広く詠み読まれる短歌の主流は現代日常語(口語)だと思う。
 これから文語による永遠の美を追求しようとする人は立派だ。だが、短歌を身近なところにおいて心を表現し、読まれることを推奨するのであれば、それを担う役割をもっと日常語に任せても良いのではないか。そもそも文語表現が得意としてきた抒情や詠嘆は、二十一世紀になったのを境に変質しているような気さえする。念のためここで、永田さんの短歌作品は文語でも柔軟に心を表現していて、文語特有の権威的な感じがなく、美しい、ということも申し述べておく。
 また定型はそもそも文語によって、その表現力が最大限、発揮されていたと思う。日常語を定型に当てはめようとすると、どうしても窮屈だったり、揺らぎが生じる。既に一千年以上も使い続けられ、現代語でも何とか詩にしてしまう定型はすごいな、と思うけれど、定型プラスマイナスエックス以外は短歌として認めない、という規範的な姿勢を誰かがもしも取るとすれば、短歌という詩型の寿命を縮めかねない。いや、短歌という言葉自体はどうせ明治以降、使われだした語なので、文語・定型と共にゆっくり滅びゆく美となっても構わないけれど、一行で収まるほど短い韻律詩、という詩型はさらに発展させていきたい。なんなら、やまとうた、と言っても良いと思う。

 さて、本書の白眉は最後の章「短詩型における表現の本質」だ。15ページの短い章だが、著者はまず谷川俊太郎の「詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだ」という発言を引く。その上で著者は(詩は自己表現ではない、とまで言い切るのは躊躇するが)「短歌という短詩型では、自分の言いたいことは、自分で言わず、相手に感じ取ってもらう、これこそがこの詩型の本質だと私は思っています。」とテーゼを立てる。この章で引用されている例歌、高野公彦と河野裕子の二首と共によく噛み締めたい。
 確かに、読んでいて引き入れられる短歌作品は、表現の中に、世界や宇宙すら入ってしまいそうな飛躍が入っていることが多い。読者が想像をのせることができるワイルドカードと言っても良いかもしれない。著者は短歌作者の立場からこれを「言わないための表現」「虚の表現」と言っている。


 短歌の読者は、この「虚の表現」の読みを作者から任せられる。もしかしたら、ここに短歌が結局のところ広く読まれない原因があるのかもしれず、閉鎖性が指摘される理由かもしれない。読みや鑑賞の面白さを広げるのも大切だと思う。また、必ずしも飛躍ばかりが「虚の表現」の方法とは限らないだろう。短歌にできること、やらねばならないことは、まだまだたくさん、ある。











NHK出版 2015年新版

2017年6月11日日曜日

スーパーアメフラシ 山下一路 を読む (7/1111)

とつぜんのスーパーアメフラシ父さんの見る海にボクは棲めない  
                         (スーパーアメフラシあらわる)

 海の岩場に大きな、ぐにゃぐにゃしたものがいる。あ、動いてる。生き物らしい。人間とはかけ離れた形になって、ぐてっとしている。急にどうしたんだ、父さん!
 カフカの「変身」を思わせる作品からタイトルが取られた山下一路さんの歌集「スーパーアメフラシ」を読んで思った。これは、自爆テロだ。秩序の解体だ。
 根底に、時間の進行への抵抗があるのではないか、と思う。時が進むことは必ずしも進歩を意味しない。作者は不条理を以って、時の流れは退化することもあるのだと読者に見せつける。例えば、介護。

母さんのまがった指から夏空へときはなたれてやがてカナブン   (やがてカナブン)

 まがった指は、老いて介護の対象となってしまったことを象徴するのだろう。カナブンは情けなくて切ない、軽い存在。だが、なぜここに?あ、母さんだったのか。

 ありがちな日常も、作者の手にかかれば緊急事態となり、無批判に受け入れてしまうことに異議が唱えられる。

逃げ道が樹海のようにひろがった早朝会議のフローチャート図    (ジョブシフト)

 退屈な会議のためにわざわざ早起きし一日の労働時間まで長くなる鬱陶しさか、もしかしたら議題が逃げ出したくなるようなものかもしれない。確かに、フローチャート図を辿ろうとすると、樹海のように迷う。樹海が企業社会そのものを比喩しているようだ。

 批評は時代状況そのものにも向けられる。戦後に暮らしていると思ったら、いつの間にか戦争の準備が進み、戦前になってしまっていた。

教室の釘に吊るされているモップ ボクを戦争につれてって  
                           (ボクを戦争につれてって)

 ボク、は民主主義と平和を最高の価値とする教育を受けた戦後世代のことだと思う。戦後が戦前にすり替わってしまったのは、戦後教育の敗北だ。何十年もいったい、何をしていたのか。民主・平和は、教室に掲げられた原則ではなく、掃除のモップだったのか。

 時がたつにつれて進歩しているはずのものが、後戻りしているじゃないか。不条理とユーモアを武器にして、時間とともに出来上がった権威や秩序を解体し、結局こうなってしまっている世界に異議を申し立てる、「スーパーアメフラシ」はそんな歌集だ。

 作者は戦後、歌壇の一翼を担った歌人にして、企業戦士であった人である。この歌集は作者による「我が解体」、そして、現状に安住しがちな同世代の人たちへの疑問の投げかけ、さらには自らを解体せよという「檄」の歌集のようにも思える。自分たちは本当に、時間を前に進めていたのか。
 厳しい問いかけのように思えるが、実は作者がティーンエイジャーだった頃は、自己批判、自己否定は普通にあった。そもそも全共闘運動は、高度経済成長社会のアンチテーゼだった。しかも高度成長の終焉と全共闘の挫折は同時に起こった。半世紀ののち、社会や経済の資産継承は、もうあまり期待できない。後の世代に伝えてほしいのは、あの「解体」のエネルギーだ。











青磁社 2017年4月


(補論)


 山下一路さんと同世代となる「団塊の世代」「全共闘世代」は1945年から1952年生まれぐらいまで。歌人では知る限りでは、小池光さん、河野裕子さん、道浦母都子さん、永田和宏さんなど。価値観が比較的はっきりとしていて活躍が目立つ世代だ。このあとに1960年生まれぐらいまでの、価値観の過渡期のような世代がいる。歌人では大辻隆弘さんなど。フラワーしげるさんや、後のニューウェーブ短歌の旗手となる加藤治郎さんも、この世代。口語短歌やニューウェーブ短歌を主導したのは1960年代生まれの俵万智さん、穂村弘さん、萩原裕幸さん達だ。

2017年6月3日土曜日

10年後、ともに会いに 寺井暁子 を読む (6/1111)

 当書はUnited World College (世界各国から選抜された高校生を国際人として養成する機関)を卒業した著者が、卒業から10年後に世界各国に散らばった同級生を訪ねて歩いた記録である。ほぼ一年に渡る旅、ヨーロッパ、米国、中近東にいる友人への訪問記が収められている。著者はイスラエルとパレスチナを訪れた後、2011年エジプト革命に遭遇する。その地域と革命を実際に見た記録が400ページに渡る当書の半分を占めているのも特徴である。

 「目を閉じて世界地図に向かってダーツのピンを投げる。刺さった場所から自分の次のステージをスタートする。それぐらいの冒険心を持っていたいと彼女が呟いた」
 ボストンに住み、国際機関で働き東チモールに派遣された経験を持つ友人の呟きは、そのまま著者の想いに重なる。
 読者がたぶん最初に気が付くのは、著者が受けた教育の特徴だろう。世界中から選りすぐりの高校生を一つの学校に集め、国際社会に貢献する人材を育てる、というUnited World Collegeの理念。著者は米国ニューメキシコ州にあるその学校の寮で2年間の共同生活を送っている。大学進学後、国際機関に就職する卒業生も多い。その多くはまだ仕事についたばかりだったり、起業してまもなくだったり、大学院に在籍していたり、である。二十歳代後半は、社会に働きかけて糧を得る術と感覚が身につき独り立ちし、具体的な未来への展望が開ける時期だ、という点ではどの先進国も同じだ。
 著者の同級生に特徴があるのは、United World Collegeで教えられた、自分たちは受けた教育を世界に還元し、世界を変えていくのだ、という、語の正しき意味でのエリート精神だろう。著者は10年ぶりに会った同級生に、自分たちは本当に、教えられた精神どおりになっているか、問いかけて歩く。国際機関で働くことに意義を見いたしつつある者、起業して成功を収めつつある者、その多くが祖国と仕事や生活の場という二つの国を持ち、仕事と生活を両立させながら戦っている。が、彼らが世界を変えられるのか、はっきりとした答えは見いだせないまま当書の前半は終わる。

 さて、エジプト革命の7,8年前、ぼくは仕事で、ロンドンの中心部から少し外れた地域にあるインターネットカフェを良く訪れた。まだホテルにインターネット回線が完備する前のことで、仕事のデータをやりとりする為に使ったのだったが、その、開け放しの窓の下から地下鉄が走る音が響いてくる場所は中近東からの移民でいつもいっぱいだった。みな、電子メールで故国にいる人達と情報や励ましのやりとりをしているのだろう、と思った。2006年にツイッターとフェイスブックが広くサービスを始める前のことだ。
 それから7年後の2011年、当書の筆者は、友にあいにいく旅の途中でエジプトの民主化革命に遭遇し、ツイッターのハッシュタグ #Jan25 に始まった革命の実際の様子、デモや広場の座り込みをしている人たちの声をiPhoneから発信した。当書の後半は、友との10年ぶりの交流の記述は薄れ、イスラエルとパレスチナ、エジブト革命との遭遇を、その場にいた話として伝えている。日本にいてはまったく分からない事情が明らかにされていて、現場を追体験することができる。

 デモ、スト、座り込み、で思い出したのが日本の1960年代の学生運動だ。それなりの理念を持った、大学が長期の休講に追い込まれるほど激しい運動だったのに、革命どころか、挫折感以外に社会に影響を与えることすらほとんどなく終わったのはなぜか。社会や歴史的背景の違いもさることながら、運動を主導した学生たちが、社会のリーダー予備軍としての意識を持ち合わせていたなかったことに大きな原因があると思う。彼らは民衆の支持を得ることなく終わった。当書のエジプト革命の章には、筆者の同級生が海外の金融機関の仕事を辞めてエジプトに帰り、革命に参加している姿が描かれている。筆者が当書の半分を費やして中近東の姿や革命を描いたのは、ここに「自分たちは世界を変えようとしているのか」という問いに対する答えを見出しつつあったから、ではないか、と思う。民衆を導くオピニオンや情報を発信し、それにより社会をリードすること、歴史を進めること、それができて、真のエリートと言えるのではないか。

 変革へと導く、その根本にあるのは、筆者はエピローグで書いたこの言葉だと思う。「私たちは、今でもきっと、お互いに影響しあって生きている。」かつての仲間たちへの、そして訪れる国の人達への共感と共鳴、当書からは筆者のそれが溢れるほど伝わってくる。共感なくして影響を与えることはできない。題の「ともに」は「友に」「共に」、情報とは情けに報いるものなのだ。

 当書は2012年に、国分寺のクルミド出版から発行された。広く書店で売られている本ではない。クルミド出版のホームページのURLを掲載しておく。
後半、特にエジプト革命の章が情報量とリアルさに比例して長大で、登場する人と場所を整理しながら読むのが大変ではあるけれど、日本の中だけで教育を受けた同じ世代の人達に読んでもらいたい本だ。











2012年10月発行、クルミド出版

2017年5月21日日曜日

東京を生きる 雨宮まみ を読む (5/1111)

「東京を生きる」を上海で読んだ。上海中心部はこの10年ほどの間に、東京以上に豪華なショッピングモールが立ち並び、道路は高級車で溢れている。歩く人はブランド物を身にまとい、モダンなレストランは予約が取りにくい。一方で、郊外の暮らしは、以前よりは立派なマンションが増えだいぶきれいな感じになったが、中心部の消費と釣り合うほど豊かか、と問われれば、程遠い。富の偏在によりごく限られた人たちが奢侈品の消費に走り、中流の上ぐらいの層がそれに追随して、富の印を見せようとブランド物をまとい上海の中心部を歩いているのだろう。上海は、バブル経済に踊った東京の香りがする。
 
 さて、2016年の日本のGDPはバブルのピークだった1990年を120兆円も上回っているのをご存知だろうか。雇用の問題等々で不公平感は否定できないが、日本では、わざわざ富を見せつけなくてもそこそこの豊かさを味わえるようになった。(中には、急にお金が入ってきたのを見せたい人たちもいるようだけど。)ちょっと背伸びをすれば大概のものは手に入るのが、今の日本であり、東京だ。上海で読んだ「東京を生きる」に、うわべではなく内面に向かって消費する人の姿を感じた。

 著者、雨宮まみは、福岡出身で、東京の大学を卒業し就職、数年後にライターとして独立し、東京で生活した。この書は2000年代の東京を舞台としたエッセイだ。

 東京で、ちょっと背伸びをした消費をしてみせる。富の記号としての、ブランド。東京はその記号を解読できる人が大勢いる街だ。ブランド物を身につける。満ち足りている、と人に分からせれば、自分自身も何となくそんな気になりそうだ。エッセイの中では、ブランド物だけではなく、恋愛ですら、満ちていることをしめす記号に変換される。富を見せつけているのではない。心が満ちていないから、足りないから、そうではないという記号を鎧のように身にまとうのだ。
 さて、問題はここにある。著者は書く。
「欲しいと思って手に入れたものが、あっという間になんの魅力もない布切れやがらくたに変貌していく。・・・見つけて買うまでの瞬間だけは『これは運命だ』も思うことができる。わたしは、何のサイコロを転がしているのだろうか?」(「越境」)
  この焦燥感はどうしたことか。得れば得るほど、喪失してゆく。孤独と悲しみが残る。追いかけっこ。東京を追いかけ、東京の孤独に追いかけられ、東京で生きている。

 昨年秋、雨宮まみの突然の死が報じられた。不自然な死。いや、追いかけっこの先にある必然だったのか。ペンネームの「まみ」は、穂村弘の歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」の作中主体、まみに由来する、と、その時知った。歌集は、孤独の追いかけっこをする人どうしのメッセージとも取れる一首で終わる。

 夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
(穂村弘・「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」小学館 2001年)














大和書房 2015年

2017年5月15日月曜日

転生の繭 本多忠義 (歌集) を読む (4/1111)

 もういつだったか忘れたほど昔、たぶん子供の頃だろう、宇宙は球体ではなくくぼんだ花瓶のような形をしている、と読んだ記憶がある。心もきっと、宇宙と相似の形をしているのだろう、と思った。くぼんだところは、他人には欠落のように見えるかもしれないけれど、心の大切な一部だ。

 宇宙のくぼみに向けて、探査機を飛ばす。探査機は微弱な電波を出しながら、闇の中を飛びつづける。微弱な信号を受けてくれる生物が宇宙のどこかにいるかもしれない。心もまた、世界のどこかにいるはずの人に向かって、毎晩、毎晩、信号を綴る。
 本多忠義の歌集「転生の繭」の最初の四章から聴こえてくるのは、宇宙のくぼみに向かう探査機からの信号だ。

  あなたには言えない星が映されてプラネタリウムで目を閉じている 
                          「柔らかすぎる雪のことなど」

 たぶん読者は、この一行で指示されているものが作品の中から欠落しているように感じるだろう。作中に提示されたものは否定されたまま終わり、探査機がどんな星を観測しているのかは不明のままだ。だが、心という宇宙がくぼんでいる形はそうとしか表現できない。この歌集は心の形の忠実な描写なのだ。

 そして、意識のブラックホール。探査機は急降下し、信号はいったん弱まる。

  逃げ込んだてんとう虫が壁の絵を斜めに降りている薄明かり 
                                 「青い封筒」

 歌集の章が進み、気がつくと光が当たりはじめている。ブラックホールの先にあったのは死ではなく、命だった。現われたのは、地上の夏。家族と新しい家のイメージがやってくる。

  いつのまにコスモスわたしよりも背が伸びてしずかに夏のおわりに 
                               「さざめく夕べ」

  なにもない家ですだから帰り際星に気付いてくれてうれしい
                                     「アーチ」

 宇宙の果てのくぼみを一巡りして戻ってきた物体は、左右が反転していると言う。探査機の信号は闇から光に、死から生へと変わった。作者が歌集に込めた標題が表れる。

  春の雪記憶に溶けて転生の繭に内から外から触れる
                                  「転生の繭」

  生は、生活という形で表される。具体的には家庭であったり職場であったりする。子が生まれれば願いを込めて名付けるし、妻の突然の病気があるかもしれない。職場が学校だったら生徒との交流や励ましもある。震災の影も見える。生活の旋律は長調だったり短調だったりするが、いずれも、生きよ、という信号を発している。例え逃げだしても、死の方へではなく、生の方へ、だ。

  調査書にゴシック体で立ち並ぶ2222さあ逃げなさい
                                「長い永い廊下」

   一般に、身近な人達に向けて作られた作品はときどき、子供の自慢話しかない年賀状のような退屈さを感じることがあるが、本多忠義の作品は身内を描いていても退屈さが全くない。むしろ、引き入れられるように読んでしまう。溢れる愛を主観的に表現するのではなく、愛という心の形を描写するのに成功しているからだろう。宇宙のくぼみを正確に描写する探査機は、光を放ちながら膨張する宇宙の姿をも正確に伝えている。

  回れその光を懸けててのひらに覚えた熱が連れてくる夏
                                 「空のパズル」

 生を表す部分の探査は始まったばかりだ。心の形がどう描写され続けるのか、本多忠義の作品に注目したいとおもう。
 なお、作者が同時に書肆侃侃房から上梓した「パパはこんなきもち。」は、パパの子育て短歌の歌集。作者の、子供への愛が溢れる作品は、読んでいて純粋に楽しい。











書肆侃侃房・2017年

2017年5月10日水曜日

天野忠詩集・天野忠 を読む (3/1111)

「もう 年をとってしまったから
 あんたは
 あんなに立派すぎる空を 見てはならない
 あんたは
 台所で
 しずくをたらす 水道の栓を
 とめてはならない」(しずかな人)

 確かに、何かをしてはならない、とは老人に良く言う言葉だ。一見、老人の世界を表現したと思われがちな天野忠の作品だが、違うと思う。鋭い感性をもって老いを観察しているように感じる。
 高らかにうたうのではなく、どちらかと言えば脱力しているような表現。だがそれは、何かを克服してやっとたどり着いたような脱力だ。老いがテーマだが、老いた作品ではない。

 作品の背景には生き方の美学がある。生と美の座標軸に、暮らしが一日、また一日と、点のように位置づけられてゆく。老いとは、その点が座標からだんだんブレてゆくことだ。だが座標がなければ、ブレを認識することもできない。作者はたぶん、生と美のかなり強固な座標と、ブレをブレと感じる鋭い感性を持っていたのだろう。そして、老いを否定せず、抵抗もせず、客観的に表現してみせた。老いを美や生き方の批評にしてしまったのだ。

 批評の存在に気づかせてくれるのが、一連の詩の最後にしばしば置かれた、読者への一撃だ。
「それから 戸締まりをして おばあさんは山へ 自分を捨てにいった。」(「童謡」)

 冒頭で引用した「しずかな人」は、次のように終わる。作者が実は、老いを外から見つめていたのに気付かされる一節である。

「あんたは もう すっかり 年をとってしまった

 台所の水道の栓は キッチリ
 わたしがとめます。」(しずかな人)


 思潮社 現代詩文庫85 1986年

2017年5月8日月曜日

千百十一冊を読む日々、に変更

 一千冊ではなく、千百十一冊を目標にすることにした。理由は単純で、一千冊で検索すると既存の有名サイトが現われ、いかにも既に試みられたことと分かるからだ。
 1111、千百十一冊なら、既に試みられたことを超える。
 週一冊のペースだと二十一年がかりとなるが、そのうち週二冊読む時間もできるだろう。最晩年、千百十一を目指す日々となっているかもしれないが。

2017年5月7日日曜日

多田富雄詩集 寛容・多田 富雄 を読む (2/1111)

 当書は著者が逝去した後、病を得てから発表された詩を集めて刊行されたものだ。毎年、友人に送ったクリスマスのあいさつメールもクロニクルのように加えられている。読者は、闘病しながら前向きに生きる姿を三十篇ほどの詩に重ねながら読み、その姿勢に感動する。だが、作品が発するメッセージをよりしっかり受けとめるには、著者は高名な免疫学者であるとか、能に造詣が深いとか、数々の受賞に輝くエッセイストであるとか、半身不随で闘病する姿がNHKスペシャルで放映され大きな反響を呼んだとか、偉大な著者にかんするこのような知識をいったん取っ払い、詩に直接、対峙するのが良いと思う。

 まず感じるのは、詩に描かれた死の生々しさ、気味悪さだ。
「人間は木の台のように 泥に捨てられて朽ちる 天竺の下人のやり方で 括り袴の裾を前に手挟み 鞭のような杖で地面を叩きながら 轍ばかりの泥道を 五色の紐に引かれて歩いていった」(弱法師)
「霧の中では 死体が根を張ってゆく 奇妙な形によじ曲がった根の先が するすると伸び ばらばらになった肢体は 見る見るうちに蔓草に覆われてしまう」(荒野を渡る風の挽歌)
死は、美化ではなく陵辱である。当書の作品には、死の陵辱のグロテスクな光景が溢れている。これはまるで死後の世界を見てきた人のルポルタージュを読むようではないか。

 彼の世には此の世の文脈が通用しない。死の世界は、詩によってでしか表現できない。死の世界、は詩の世界、だ。
「乾燥した舌を動かし 語ろうとした言葉は 自分でも分からなかった おれは新しい言語で喋っていたのだ」(新しい赦しの国)

 詩となった死が語たるのは喪と、この運命を引き当てたという呪いと、ごくわずかな鎮魂。書名となった「寛容」は、上に引用した「新しい赦しの国」の結末で僅かに語られる。
「昔赦せなかったことを
百万遍でも赦そう
老いて病を得たものには
その意味がわかるだろう
未来は過去の映った鏡だ
過去とは未来の記憶に過ぎない
そしてこの宇宙とは
おれが引き当てた運命なのだ」

 死に直面した人が最後に見るのは、生の光景なのだろうと思う。巻末の遺稿として掲載された、妻に捧げられた「カントウズII」。伴侶との出会い、冒険、安堵のイメージ、つまりは記憶されるべき生涯を表現している。生の拠りどころとなったもの。著者の直前の指文字は、カエル(帰る)、カエル(帰る)と判読できたそうだ。


 生は死を内包し、死が生を照射する。それが美しかろうと、美しくなかろうと、生死の真実を伝えられるのが詩のことばなのだ、そう考えた。











藤原書店 2011年

2017年5月4日木曜日

本は読めないものだから心配するな・管 啓次郎 を読む(1/1111)

 詩人であり翻訳者でもある著者の10年間に渡る読書、いや、追ったページについてのエッセイ集だ。著者はページのテキストを読み取り、旅の経験に重ねて、南米へ、ヨーロッパへ、北米へと導いてゆく。
 章立てがされていない。著された一かたまりのテキストの最初がボールド表示の見出しとなっているだけだ。読者はこのエッセイを一編の書評ではなく、詩的強度のつよいテキストの連続として読む。
 ボールド見出しと共に特徴となっているのが、見開き2ページからもっとも強度のある一行が抜き出され、見開きの左肩に置かれていることだ。一冊のページをぱらぱらめくりながら左肩を見ていくと、そこに一行詩が次々と出現する。
 もともとは、ばらばらに発表された書評や読書日記をまとめたエッセイ集なのだが、取り上げられた本の多くをぼくは知らない。たが、このエッセイ集は旅のようだと思う。章立てがなく、場所や体験というボールド見出しがあるだけ。テキストを読むことは旅の歩みに似ている。

(抜書き)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

「詩論は詩の代用とはなりえない、、、引用が唯一の方法となる。言葉をつみとり活けることにおいて、人はアレンジメントの職人にして芸人となる。」(P61)

 (詩歌の特性として引用のしやすさがあるのかもしれない。特に短歌なら作品を容易にまるごと全部、引用できる。)


「言語の文学的な使用法とは、絶えず規定の言語の輪郭を内破させ、ひょっとしたら「魂」みたいなものが閉じこめられているかもしれない音と文字の壷を内側から破壊することにかかっている。」(P87)



「本は読めないものだから心配するな」菅 啓次郎著 左右社 2009年

2017年5月3日水曜日

はじめに

 歳を取るということは、夕方、知らない場所を自転車で走ることに似ている。行き着かず、自分がどこにいるのかも分からず、だんだん暗くなる。真っ暗になるまでに、あとどれだけの景色を見ることができるだろうか。
 
 自転車を漕ぐように読書する。一日五十ページ、一週間でたいがいの本が一冊、読める。一年で五十冊、二十年で一千冊。小説やエッセイばかりではない。短歌を作ったり評を書いたりしているため、歌集や詩集が一千冊の中に相当、混じる。歌論、詩論も読むだろう。疲れている時には、軽く楽しい読み物に癒やされたい。
 
 困るのは、読んだあとに残るモヤモヤだ。行を目で追っていくうちに流れる感応電流の行き場がない。言葉の形にすれば、どこかに流すことができるかもしれない。いまさら、のようにブログを始める。本を読んで流れた感応電流を貯めるためだ。あまり日付が空いてはかっこ悪いではないか。
 
 なお、一千冊のどの辺にいるか示すために、読んだ本をタイトルとし、タイトルの前に連番を振る。また折角なので、歌誌「かばん」などに発表した自作の短歌を掲載したり、ツイッターでつぶやききれない感想などをブログに述べることもあるかもしれない。