歌人・福島泰樹が毎月10日、行っている短歌絶叫コンサート、今月8月は「残(のこん)の月」追悼 大道寺将司 として、獄中で病死した新左翼活動家に捧げられた。
大道寺将司は1960年代、全共闘運動に身を投じ、70年代にはテロリストとして活動、1987年に死刑が確定し収監されたまま30年後の今年5月、亡くなっている。90年代後半より俳句を作り、2015年に上梓されたのが第四句集「残の月」だ。栞(解説)は福島泰樹。
短歌絶叫コンサートは、俳人(福島泰樹は大道寺将司を俳士と呼んでいる)にして元テロリストへの共感に満ちていた。まず、チラシにも引用され福島泰樹が絶叫朗読した、大道寺の作品三句。これは第三句集となる「棺一基 大道寺将司全句集」からだろう。
棺一基四顧茫々と霞みけり
天日を隠してゆける黒揚羽
狼や残んの月を駆けゐたり
棺、はもちろん作者が自分の死姿を幻視している。死刑であり病を得た身という運命。
黒揚羽はやはり死か、運命をイメージさせるが、もしかしたら挫折や裏切りか、とも思う。意味よりも黒揚羽の一言に集約される世界を読み取るのが俳句なのかもしれない。
狼、は作者の不屈の意志。
福島泰樹は大道寺将司より五年歳上で、やはり全共闘運動の闘士だった。原体験としての壮絶な敗北、そして敗れた者たちへの深い共感が文学活動の原点になっていると思う。そもそも人間は、最後には死ぬという意味で、必ず敗者なのだ。
その彼が大道寺の作品に読み取るのは、獄中で悔いつつも、なおも狼となって戦い続ける姿。
炎天に溢るる悔の無間なり
狼は繋がれ雲は迷ひけり
荒布揺る杜を汚染の水浸す
汚染の水、とは福島原発事故のことだ。
そして、四季の移り変わりも身の自由もない牢獄で、想いを有季・定型の俳句という形に磨いていった、ということ。
とんぼうの影を墓石に映しけり
これは獄中の幻視なのだ。
福島泰樹は絶叫コンサートで「残の月」に寄せた彼の解説を朗読した。
挫折してなお、言挙げし続ける歌人。悔い、死して、ついに敗北しなかった俳人。
「残の月」、そして第三句集「棺一基」の作品から、冬の冷たい水でナイフを洗うような印象を受ける。牢獄の中で、光景のわずかな記憶と意志の言葉を俳句の定型に凝縮していく作業が、言葉の持つ「詩」の純度を高めさせたのだ。
福島泰樹の解説には引用されなかったが、印象深い二句を挙げておく。
冬の日の影従へて九段坂
狼の吠ゆる転瞬星移る