2017年12月31日日曜日

通過してゆく ー 2017年自選59首

I 季節風


春風が今日の始発の改札をくぐりましたと気象予報士

出社するサラリーマンは戸惑ってチューリップの花束を買う

終バスも去った団地の街灯に鬼まかり通り花冷えの夜

ひとり ひとり 名を呼びながら桜降るネガフィルムを燃やしていった




永遠に続く音楽などなくて梅雨入りの日の原価計算

郵便配達ではないな 雨音に足音まじる病欠の午後

雨おとの骨董市で語りつぐノッテイングハムのまやかしの薔薇

向日葵の束をかかえて地下鉄に乗る人がいる梅雨があけた日




本箱で窓がかくされその裏は校庭らしい二年めの夏

書きおえたあともしばらく鳥達は詩の形して夏空にいた

早逝の幼馴染が夢にきて見知らぬ祭りに誘おうとする

浅夢にうすだいだいをただよわせ浴衣ほのかに西瓜の匂い




びいどろのような暮らしが初秋にながれてひとり縦笛をふく

コンビニのこわれたドアが直されぬ街で夕陽を数えつづけて

なにひとつ残さず消えてゆく秋にワイングラスのアンカーを打つ

晩秋の銀杏並木の輝きへゆっくりのぼる地下鉄出口




冬にゆく電車の中に老人の仮面をつけて座る人々

引き返す可能性ある千歳行き最終便がゲートはなれる

冬空を支えきれずに電圧が流れ去るまま立ちすくむ塔

あしおとが梢の黒くさししめす方にとおのき たましいの冬




II 過ごした日々


終着駅ばかりの街で舶来の新聞を売り暮らしているのさ

改札で軽くSuicaをタッチしてつぶしてしまう日々の凹

世を避ける言葉はうまくなったけど空気に少し朱色がまざった

最上階の数字を越えて上がり続ける ぼくのせいではない




自転車で歩道をふさぎ立ち去れる人こそ勝者と書店に平積み

コンビニに棄てられている生ごみのメイクアメリカグレイトアゲーン

伝説は作られるのだと空を舞い星を無理やりつなぎはじめた

Mind the gap 不況が来るぞ Mind the gap 煤けた壁に駅の怪人




百年後、キラキラネームのおばあちゃん溢れる舞浜がありますように

デコポンが旬になったら好きなだけ食べて死ぬほど贅沢させて

怒りっぽくなりましたか?レントゲン画像に硬くしぼんだ胡桃

首都高の霧のカーブの助手席でもっと飛ばせと叫ぶ老人




誰一人返事しない昼ふりむくとセイタカアワダチソウの絶滅

あの部屋は四季がないんだ見るたびに肥大してゆく観葉植物

文房具売場が悲しい  ってやはり変かな 空白のページしかない

ここだよね めちゃくちゃ楽しかったよね 花束置いて立ち去った人

ラジカセを持って踊ろう薄明の砂浜にえがく1987




III 空ゆく船



空にもうたどり着けない朽ちはてたエスカレータに足のせたまま

帰ったあとご飯も食べず、まっくらな部屋から川を見ていた

困惑しているのだ  空が鮮緑の毛細血管に侵されてゆく

明け方に出発ロビーにいる 自分2.0へのアップグレード

書くほどの掟はなくて僕達はスマホかざして風に乗りこむ

今ちょうど離陸時刻か 玄関で夕陽を浴びてゆれるコスモス

秋空を上昇します駆けめぐる羊の群れにご注意ください

鳥達の死を無駄にはしないよ 微弱電波とらえた無線機




VI 鉄道事変


冷えきった家でみかんを剥いている きっと乗り遅れたのだろう

持ってきた蜜柑も腐ってしまって 中央線に夕陽まぶしく

ホームからお客様が転落し二日おくれる世界のおわり

この世界の車掌はぼくだ ひしめきあう人のうしろで為すすべもなく




VI 年の終わりに


夕刊に秒針が降りつもるほど静かな朔に星を奏でて

深夜まで朝刊を置くコンビニで一日遅れて世の息をつく

帰宅する歩数をむらさきのペンで手帳に書きつらねていた 

残量が10パーセントで伝えきり僅かに再起動される息



北山の方からしぐれて面影は大路をさがり格子戸にきえて

たましいは空に満ちたか氷はる朝に比叡のいただき白く

みぞおちの白磁のように定まってとてもながく息をはきだす




全電源喪失した宇宙船できみが見つめる透明な薔薇

残り者どうしで並び星空を見上げて、あれがペットボトル座

夕風が木々の信号を変えたなら十一月の急行でゆけ



「かばん」2017年1月号〜12月号、「うたつかい」2017年春号、「みずつき」第6号に発表

2017年12月21日木曜日

谷岡亜紀歌集「闇市」

(シーン1)
 夕月は避雷針の上に昇りたり大恐慌の前の東京
 女らが茸のごとく立つ駅を過ぎて恐怖の待つ街へ来つ
 「俺は・・・俺は・・・」おれは今夜もポストなり赤く塗られてただ口あけて

幻視ではない。これは耳をふさいで駅の雑踏を通り過ぎる者にとって、実景だ。なすすべもなく繋がっていなければならない日々という現実は、この作品そのものではないか。

(シーン2)
 歳月を押し流しゆく朝焼けの西頁川の橋の上の犬
                        (西頁 サイゴン)
戦争のあとの街で、歪んで染みた天井のある宿で、路地の人々にまぎれて安らぐ。政治や社会批評ではなく、悲劇の残像を追い、隙間に落ちたものにシンクロするための土地をもとめる。喪失を確認するための旅がつづく。

 エア・メール三通出してそののちは暑く眠たい中華街の夏
 めまいして仰げばいまだこの空に落下の形とどめいる人

二首目「めまいして、、」で作者は、9・11テロの跡に立っている。目眩を感じたのは、幻視の前。たしかに悲劇があった場所では、目眩がしたあと、その場面がフィルムのように再現されるような気がする。「形とどめいる」が、惨劇の記憶が残っていることと、人の形が空に貼り付いている幻視とを重ね合わせる。

 この世とはあるいは大きな駅ならん最終電車を灯の下に待つ

この世は駅、どこかに向かうための駅。でも、その駅を出発する列車はどこに向かうのだろうか。
きっと外国の駅なんだ。外国の駅はたいがい、不自然に大きいので。

(シーン3)
連作「歌舞伎CITY」。連作の始めに灯ったネオンが、明け方になってもまだ残っている。

 半世紀どこさまよいていし人か復員兵のごとく歩み来
 行方なく行けば箱庭療法のごとき街なり傘に溢れて
 歩めるは哈爾賓帰りの女らか影揺らぎつつ我を過ぎゆく

街に暴力があるのではなく、街が暴力そのものなのだ。50年たってもまだ、戦争から戻ったばかりの男や、満州から引き上げてきたとひと目で分かる女がいる街なのだ。

世界のどこかに、歩き疲れた自分が取り残されている。その自分が読んでいるのはきっと、この歌集だろう。また旅に出たくなった。


=引用歌はすべて、谷岡亜紀歌集「闇市」雁書館 2006年 からです。