2017年5月7日日曜日

多田富雄詩集 寛容・多田 富雄 を読む (2/1111)

 当書は著者が逝去した後、病を得てから発表された詩を集めて刊行されたものだ。毎年、友人に送ったクリスマスのあいさつメールもクロニクルのように加えられている。読者は、闘病しながら前向きに生きる姿を三十篇ほどの詩に重ねながら読み、その姿勢に感動する。だが、作品が発するメッセージをよりしっかり受けとめるには、著者は高名な免疫学者であるとか、能に造詣が深いとか、数々の受賞に輝くエッセイストであるとか、半身不随で闘病する姿がNHKスペシャルで放映され大きな反響を呼んだとか、偉大な著者にかんするこのような知識をいったん取っ払い、詩に直接、対峙するのが良いと思う。

 まず感じるのは、詩に描かれた死の生々しさ、気味悪さだ。
「人間は木の台のように 泥に捨てられて朽ちる 天竺の下人のやり方で 括り袴の裾を前に手挟み 鞭のような杖で地面を叩きながら 轍ばかりの泥道を 五色の紐に引かれて歩いていった」(弱法師)
「霧の中では 死体が根を張ってゆく 奇妙な形によじ曲がった根の先が するすると伸び ばらばらになった肢体は 見る見るうちに蔓草に覆われてしまう」(荒野を渡る風の挽歌)
死は、美化ではなく陵辱である。当書の作品には、死の陵辱のグロテスクな光景が溢れている。これはまるで死後の世界を見てきた人のルポルタージュを読むようではないか。

 彼の世には此の世の文脈が通用しない。死の世界は、詩によってでしか表現できない。死の世界、は詩の世界、だ。
「乾燥した舌を動かし 語ろうとした言葉は 自分でも分からなかった おれは新しい言語で喋っていたのだ」(新しい赦しの国)

 詩となった死が語たるのは喪と、この運命を引き当てたという呪いと、ごくわずかな鎮魂。書名となった「寛容」は、上に引用した「新しい赦しの国」の結末で僅かに語られる。
「昔赦せなかったことを
百万遍でも赦そう
老いて病を得たものには
その意味がわかるだろう
未来は過去の映った鏡だ
過去とは未来の記憶に過ぎない
そしてこの宇宙とは
おれが引き当てた運命なのだ」

 死に直面した人が最後に見るのは、生の光景なのだろうと思う。巻末の遺稿として掲載された、妻に捧げられた「カントウズII」。伴侶との出会い、冒険、安堵のイメージ、つまりは記憶されるべき生涯を表現している。生の拠りどころとなったもの。著者の直前の指文字は、カエル(帰る)、カエル(帰る)と判読できたそうだ。


 生は死を内包し、死が生を照射する。それが美しかろうと、美しくなかろうと、生死の真実を伝えられるのが詩のことばなのだ、そう考えた。











藤原書店 2011年