2017年5月15日月曜日

転生の繭 本多忠義 (歌集) を読む (4/1111)

 もういつだったか忘れたほど昔、たぶん子供の頃だろう、宇宙は球体ではなくくぼんだ花瓶のような形をしている、と読んだ記憶がある。心もきっと、宇宙と相似の形をしているのだろう、と思った。くぼんだところは、他人には欠落のように見えるかもしれないけれど、心の大切な一部だ。

 宇宙のくぼみに向けて、探査機を飛ばす。探査機は微弱な電波を出しながら、闇の中を飛びつづける。微弱な信号を受けてくれる生物が宇宙のどこかにいるかもしれない。心もまた、世界のどこかにいるはずの人に向かって、毎晩、毎晩、信号を綴る。
 本多忠義の歌集「転生の繭」の最初の四章から聴こえてくるのは、宇宙のくぼみに向かう探査機からの信号だ。

  あなたには言えない星が映されてプラネタリウムで目を閉じている 
                          「柔らかすぎる雪のことなど」

 たぶん読者は、この一行で指示されているものが作品の中から欠落しているように感じるだろう。作中に提示されたものは否定されたまま終わり、探査機がどんな星を観測しているのかは不明のままだ。だが、心という宇宙がくぼんでいる形はそうとしか表現できない。この歌集は心の形の忠実な描写なのだ。

 そして、意識のブラックホール。探査機は急降下し、信号はいったん弱まる。

  逃げ込んだてんとう虫が壁の絵を斜めに降りている薄明かり 
                                 「青い封筒」

 歌集の章が進み、気がつくと光が当たりはじめている。ブラックホールの先にあったのは死ではなく、命だった。現われたのは、地上の夏。家族と新しい家のイメージがやってくる。

  いつのまにコスモスわたしよりも背が伸びてしずかに夏のおわりに 
                               「さざめく夕べ」

  なにもない家ですだから帰り際星に気付いてくれてうれしい
                                     「アーチ」

 宇宙の果てのくぼみを一巡りして戻ってきた物体は、左右が反転していると言う。探査機の信号は闇から光に、死から生へと変わった。作者が歌集に込めた標題が表れる。

  春の雪記憶に溶けて転生の繭に内から外から触れる
                                  「転生の繭」

  生は、生活という形で表される。具体的には家庭であったり職場であったりする。子が生まれれば願いを込めて名付けるし、妻の突然の病気があるかもしれない。職場が学校だったら生徒との交流や励ましもある。震災の影も見える。生活の旋律は長調だったり短調だったりするが、いずれも、生きよ、という信号を発している。例え逃げだしても、死の方へではなく、生の方へ、だ。

  調査書にゴシック体で立ち並ぶ2222さあ逃げなさい
                                「長い永い廊下」

   一般に、身近な人達に向けて作られた作品はときどき、子供の自慢話しかない年賀状のような退屈さを感じることがあるが、本多忠義の作品は身内を描いていても退屈さが全くない。むしろ、引き入れられるように読んでしまう。溢れる愛を主観的に表現するのではなく、愛という心の形を描写するのに成功しているからだろう。宇宙のくぼみを正確に描写する探査機は、光を放ちながら膨張する宇宙の姿をも正確に伝えている。

  回れその光を懸けててのひらに覚えた熱が連れてくる夏
                                 「空のパズル」

 生を表す部分の探査は始まったばかりだ。心の形がどう描写され続けるのか、本多忠義の作品に注目したいとおもう。
 なお、作者が同時に書肆侃侃房から上梓した「パパはこんなきもち。」は、パパの子育て短歌の歌集。作者の、子供への愛が溢れる作品は、読んでいて純粋に楽しい。











書肆侃侃房・2017年