2018年5月6日日曜日

萩原慎一郎 歌集「滑走路」


きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

 「きみ」とは誰なのだろう。どこに飛び立ってしまうのだろうか。一見、旅立ちの希望のように読める作品だが、滑走路は自分のためには用意されていない。きみとの別れを意識しているのかもしれない。自分は取り残される側であるという前提に立っているのかもしれない。

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず

 雇用される側、というテーマが繰り返し現れる。基調にあるのは、閉塞感と孤立、見えない将来。経済学に窮乏化法則、というのがあったな、と思う。
 クラスタに分断された時代なのだから共感を呼ぶ。昨年暮れ、歌集が出た時に、版元が大きな新聞広告を出したのを覚えている。新聞の書評でも取り上げられたらしい。

蒼き旗振り廻すかのように歌 僕の叫びを発信したり

 短歌の役割が、その時代に生きる人々の心情や感性を表すことであるならば、立派に役割を果たしてくれている、と言えそうだ。口語で短歌が作れるようになって本当に良かった、とも思う。

 短歌を読む人は、大概は詠む人でもある。読んでもらおうと作り出される短歌は、詠み手を唸らそうとするものになりやすい。「滑走路」の作品は、そういう短歌とは明らかに違う。(全体の三分の二ぐらいは直球勝負で伝えようとしていて、表現の機智に至っていない、と言えば、それまでだよ。そうなる前に亡くなってしまったのだから。)
 歌人ではない人達に読んで欲しいな。叫びを叫びとして聞こうとする人たちに。

こころのなかにある跳び箱を少年の日のように助走して超えてゆけ

(引用した短歌作品は、歌集「滑走路」萩原慎一郎 (株)KADOKAWA 2017年からです。)