「詩歌と戦争」は副題の「白秋と民衆、総力戦への道」が示す通り、北原白秋の童謡作品を題材に、戦前の童謡で良く歌われた郷愁がいつ、どのようにして成立したか、それがナショナリズム・植民地主義とどう結びついていったか、そして戦時下の民衆動員にいかに利用されたか、を述べた本だ。著者の中野敏男は社会学者でマックス・ウェーバーの研究者である。
以下、本書の内容を簡単に追う。
まず明治時代の文部省唱歌による「郷愁」の創出。故郷を想う心は故郷を離れなければ発生しない。明治期は農村から都会へ人口が移動、都会で労働者階層が形成され、かつアジア地域での戦争参加により兵士として日本を離れる人々が増えた時代だ。「故郷」「我は海の子」は国民の心情に軍国主義を植え付け、故国を敬う道具として作られた歌曲と言えよう。
これに対抗して大正デモクラシーを背景に生まれた「赤い鳥」で活躍を始めたのが北原白秋。子供のありのままの自由な感情や表現を尊重する立場で児童詩投稿欄の選者を務めた。やがてそれは、童心こそ人間の本質と見た作品群「砂山」や「からたちの花」を生み出していく。
一見、自由主義に見えるが、作品が郷愁をベースとした抒情だったのが、時代の限界であった。「みんなちりぢり。もう誰も見えぬ。かへろかへろよ、」(砂山)と歌う白秋の歌詞は、日本人はもともとこうだったのだ、という、感情からの「日本回帰」へと民衆を導く。日本は美しいという抒情、あるいは内向きのやさしさ、その本質はナショナリズム、あるいは他者の否認と暴力、なのだ。
昭和初期になるといわゆるご当地ソングのような新民謡、社歌・校歌の類の、共同体を心情的に歌い上げる歌曲が大量に誕生し、東京音頭の大流行は、自警団組織としての町内会を象徴する盆踊りの櫓を全国に行き渡らせる。
行きつくところは、国民の心情を戦争に駆り立てる心情動員。大政翼賛会文化部が発行した「詩歌翼賛」の副題は、日本精神の詩的昂揚のために、であった。
白秋は「紀元二千六百年旅頌」という作品でこれに参加した。
抒情そのものに罪や政治性はない。が、抒情は批判を止揚する。しみじみとした感情の高まりは、現在にせよ過去のある一点にせよ、それを容認することを後押しする。抒情が共同体レベルで共有されると、その共同体の容認と共同体の外部にあるものの否定となり、意図せぬ結果を生みかねない。抒情の致命的な欠陥かもしれない。湧き上がる抒情や郷愁は、感情を削ぎ落として言語美のレベルまで高めるのが文学だと思う。そこまで至らないのなら、極めて個人的な心理の内面だけに作用するよう工夫するしかなさそうだ。
2012年5月刊 NHK出版・NHKブックス1191