2017年8月17日木曜日

山頭火と四国遍路 横山良一(写真と文)を読む 14/1111


 まつすぐな道でさみしい

 どうしようもないわたしが歩いてゐる

 けふもいちにち風をあるいてきた

 わたしひとりの音させてゐる

 旅のつかれの、何かおとしたやうな

 雨だれの音も年とつた

 図書館で本棚を眺めているうちに山頭火を読みたくなって借りてきた。 「山頭火と四国遍路」という、平凡社コロナ・ブックスの一冊。 写真と文は、横山良一。世界を旅して「ポップドキュメンタリー」というコンセプトで写真を発表し続けている、と、著者紹介にある。 「四国遍路」全4巻という写真集もある。山頭火の四国遍路を追う写真はとても良く、それに織り交ぜて山頭火の俳句がたぶん二百句ぐらい紹介されている。短い夏休みに楽しめる本だった。山頭火の作品は自然の中を放浪する光景と一瞬の感傷を見事に捉えていて、わかりやすく、読みやすい。
 
 だが、自然の中に農村の生活が配置された光景は都市圏以外でも1980年代に姿を消し始め、21世紀に入ってから急速に失われている。山頭火の俳句は、その失われた自然の光景を背景に作られたものが多く、現代の読者には作品の風景を想像しづらいかもしれない。この場合、この書のような作品と写真の組み合わせは鑑賞に極めて有効な手段だと思う。

 そもそも漂泊ということが分かりにくくなっているだろう。人生や成功のコースがしっかり見えていた時代に、その路線で走るはずだったのに様々な事情でコースから外れてしまった人、あるいはコースを拒否した人は、隠遁して姿を隠した。もっと過激に示すためには、定住せず各地を転々とすることも可能だった。経済的には困窮しただろうけれど、社会の中には必ずそういう人たちがいるということが認められていた。漂泊から種田山頭火や尾崎放哉の俳句のような文学が生まれた。歌人の若山牧水もこの範疇に入るかもしれない。
 顕著であるか潜在的であるかにかかわらず、座標軸からはずれた心のために文学はあるのだ、と思う。だが今は、隠遁や漂泊の存在を否定するような世の中になってはいないか。

 自然が失われ漂泊が失われると、山頭火の俳句は読まれなくなってしまうのだろうか。受け継がれないのか。自然と一体化している作品は難しいかもしれない。
注目しているのは、冒頭に引用したような作品だ。山頭火の句集「草木塔」(草木を供養する塔は本当にあるらしい。かくの如く自然やそれにまつわる習慣の記憶は失われていく)からさらに引用すると、

 うしろすがたのしぐれてゆくか

 あれこれ食べるものはあつて風の一日

 わかれてきた道がまつすぐ

 風の中おのれを責めつつ歩く

 自然への依存は最小限で、心の叫びや心情をストレートに言葉に載せている。山頭火を良く知り、彼が歩いた自然に自分も親しんだ経験を持つ世代は、読むたびに、既に山頭火として周知の人物像や光景が全部、浮かんできて、従来どおりの山頭火を鑑賞してしまうだろう。だが、昔の光景を知らない世代はここに「棒立ち」の短歌の原型を見出すのではないか。
 やや感傷が強すぎるものの、「自己意識そのものがフラット化」「修辞レベルでの武装解除」(穂村弘「短歌の友人」棒立ちの歌)に、俳句では既に戦前、種田山頭火が辿り着いていたのかもしれない。そして、時代を越えて読み継がれていくのは結局、等身大の心の姿なのだ、と思う。
 「草木塔」の後書きで山頭火は書いている。「うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。」 現代の「棒立ち」の作品の中にどんな叫びが聴こえるか、注目していこうと思う。

 燃えに燃ゆる火なりうつくしく  種田山頭火



「山頭火と四国遍路」横山良一(写真と文)新潮社・2003年


(注)俳句の引用は青空文庫「草木塔」種田山頭火より。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000146/files/749_34457.html

2017年8月12日土曜日

残(のこん)の月 大道寺将司句集 を読む 13/1111

 歌人・福島泰樹が毎月10日、行っている短歌絶叫コンサート、今月8月は「残(のこん)の月」追悼 大道寺将司 として、獄中で病死した新左翼活動家に捧げられた。
 大道寺将司は1960年代、全共闘運動に身を投じ、70年代にはテロリストとして活動、1987年に死刑が確定し収監されたまま30年後の今年5月、亡くなっている。90年代後半より俳句を作り、2015年に上梓されたのが第四句集「残の月」だ。栞(解説)は福島泰樹。

 短歌絶叫コンサートは、俳人(福島泰樹は大道寺将司を俳士と呼んでいる)にして元テロリストへの共感に満ちていた。まず、チラシにも引用され福島泰樹が絶叫朗読した、大道寺の作品三句。これは第三句集となる「棺一基 大道寺将司全句集」からだろう。

棺一基四顧茫々と霞みけり
天日を隠してゆける黒揚羽
狼や残んの月を駆けゐたり

 棺、はもちろん作者が自分の死姿を幻視している。死刑であり病を得た身という運命。
黒揚羽はやはり死か、運命をイメージさせるが、もしかしたら挫折や裏切りか、とも思う。意味よりも黒揚羽の一言に集約される世界を読み取るのが俳句なのかもしれない。
狼、は作者の不屈の意志。

 福島泰樹は大道寺将司より五年歳上で、やはり全共闘運動の闘士だった。原体験としての壮絶な敗北、そして敗れた者たちへの深い共感が文学活動の原点になっていると思う。そもそも人間は、最後には死ぬという意味で、必ず敗者なのだ。
 その彼が大道寺の作品に読み取るのは、獄中で悔いつつも、なおも狼となって戦い続ける姿。

炎天に溢るる悔の無間なり
狼は繋がれ雲は迷ひけり
荒布揺る杜を汚染の水浸す

汚染の水、とは福島原発事故のことだ。
 そして、四季の移り変わりも身の自由もない牢獄で、想いを有季・定型の俳句という形に磨いていった、ということ。

とんぼうの影を墓石に映しけり

これは獄中の幻視なのだ。

 福島泰樹は絶叫コンサートで「残の月」に寄せた彼の解説を朗読した。
挫折してなお、言挙げし続ける歌人。悔い、死して、ついに敗北しなかった俳人。

「残の月」、そして第三句集「棺一基」の作品から、冬の冷たい水でナイフを洗うような印象を受ける。牢獄の中で、光景のわずかな記憶と意志の言葉を俳句の定型に凝縮していく作業が、言葉の持つ「詩」の純度を高めさせたのだ。
 福島泰樹の解説には引用されなかったが、印象深い二句を挙げておく。

冬の日の影従へて九段坂
狼の吠ゆる転瞬星移る

 プロパガンダではない。情念や叫び、あるいは心の中のモヤモヤしたもの、を詩の言葉に結晶させる、それが一行詩の役割の根源なのだ、と思う。




2017年8月5日土曜日

詩歌と戦争 中野敏男 を読む 12/1111

 「詩歌と戦争」は副題の「白秋と民衆、総力戦への道」が示す通り、北原白秋の童謡作品を題材に、戦前の童謡で良く歌われた郷愁がいつ、どのようにして成立したか、それがナショナリズム・植民地主義とどう結びついていったか、そして戦時下の民衆動員にいかに利用されたか、を述べた本だ。著者の中野敏男は社会学者でマックス・ウェーバーの研究者である。
 
 以下、本書の内容を簡単に追う。
 まず明治時代の文部省唱歌による「郷愁」の創出。故郷を想う心は故郷を離れなければ発生しない。明治期は農村から都会へ人口が移動、都会で労働者階層が形成され、かつアジア地域での戦争参加により兵士として日本を離れる人々が増えた時代だ。「故郷」「我は海の子」は国民の心情に軍国主義を植え付け、故国を敬う道具として作られた歌曲と言えよう。
 これに対抗して大正デモクラシーを背景に生まれた「赤い鳥」で活躍を始めたのが北原白秋。子供のありのままの自由な感情や表現を尊重する立場で児童詩投稿欄の選者を務めた。やがてそれは、童心こそ人間の本質と見た作品群「砂山」や「からたちの花」を生み出していく。
 一見、自由主義に見えるが、作品が郷愁をベースとした抒情だったのが、時代の限界であった。「みんなちりぢり。もう誰も見えぬ。かへろかへろよ、」(砂山)と歌う白秋の歌詞は、日本人はもともとこうだったのだ、という、感情からの「日本回帰」へと民衆を導く。日本は美しいという抒情、あるいは内向きのやさしさ、その本質はナショナリズム、あるいは他者の否認と暴力、なのだ。
 昭和初期になるといわゆるご当地ソングのような新民謡、社歌・校歌の類の、共同体を心情的に歌い上げる歌曲が大量に誕生し、東京音頭の大流行は、自警団組織としての町内会を象徴する盆踊りの櫓を全国に行き渡らせる。
 行きつくところは、国民の心情を戦争に駆り立てる心情動員。大政翼賛会文化部が発行した「詩歌翼賛」の副題は、日本精神の詩的昂揚のために、であった。
白秋は「紀元二千六百年旅頌」という作品でこれに参加した。

 抒情そのものに罪や政治性はない。が、抒情は批判を止揚する。しみじみとした感情の高まりは、現在にせよ過去のある一点にせよ、それを容認することを後押しする。抒情が共同体レベルで共有されると、その共同体の容認と共同体の外部にあるものの否定となり、意図せぬ結果を生みかねない。抒情の致命的な欠陥かもしれない。湧き上がる抒情や郷愁は、感情を削ぎ落として言語美のレベルまで高めるのが文学だと思う。そこまで至らないのなら、極めて個人的な心理の内面だけに作用するよう工夫するしかなさそうだ。











2012年5月刊 NHK出版・NHKブックス1191