まつすぐな道でさみしい
どうしようもないわたしが歩いてゐる
けふもいちにち風をあるいてきた
わたしひとりの音させてゐる
旅のつかれの、何かおとしたやうな
雨だれの音も年とつた
図書館で本棚を眺めているうちに山頭火を読みたくなって借りてきた。 「山頭火と四国遍路」という、平凡社コロナ・ブックスの一冊。 写真と文は、横山良一。世界を旅して「ポップドキュメンタリー」というコンセプトで写真を発表し続けている、と、著者紹介にある。 「四国遍路」全4巻という写真集もある。山頭火の四国遍路を追う写真はとても良く、それに織り交ぜて山頭火の俳句がたぶん二百句ぐらい紹介されている。短い夏休みに楽しめる本だった。山頭火の作品は自然の中を放浪する光景と一瞬の感傷を見事に捉えていて、わかりやすく、読みやすい。
だが、自然の中に農村の生活が配置された光景は都市圏以外でも1980年代に姿を消し始め、21世紀に入ってから急速に失われている。山頭火の俳句は、その失われた自然の光景を背景に作られたものが多く、現代の読者には作品の風景を想像しづらいかもしれない。この場合、この書のような作品と写真の組み合わせは鑑賞に極めて有効な手段だと思う。
そもそも漂泊ということが分かりにくくなっているだろう。人生や成功のコースがしっかり見えていた時代に、その路線で走るはずだったのに様々な事情でコースから外れてしまった人、あるいはコースを拒否した人は、隠遁して姿を隠した。もっと過激に示すためには、定住せず各地を転々とすることも可能だった。経済的には困窮しただろうけれど、社会の中には必ずそういう人たちがいるということが認められていた。漂泊から種田山頭火や尾崎放哉の俳句のような文学が生まれた。歌人の若山牧水もこの範疇に入るかもしれない。
顕著であるか潜在的であるかにかかわらず、座標軸からはずれた心のために文学はあるのだ、と思う。だが今は、隠遁や漂泊の存在を否定するような世の中になってはいないか。
自然が失われ漂泊が失われると、山頭火の俳句は読まれなくなってしまうのだろうか。受け継がれないのか。自然と一体化している作品は難しいかもしれない。
注目しているのは、冒頭に引用したような作品だ。山頭火の句集「草木塔」(草木を供養する塔は本当にあるらしい。かくの如く自然やそれにまつわる習慣の記憶は失われていく)からさらに引用すると、
うしろすがたのしぐれてゆくか
あれこれ食べるものはあつて風の一日
わかれてきた道がまつすぐ
風の中おのれを責めつつ歩く
自然への依存は最小限で、心の叫びや心情をストレートに言葉に載せている。山頭火を良く知り、彼が歩いた自然に自分も親しんだ経験を持つ世代は、読むたびに、既に山頭火として周知の人物像や光景が全部、浮かんできて、従来どおりの山頭火を鑑賞してしまうだろう。だが、昔の光景を知らない世代はここに「棒立ち」の短歌の原型を見出すのではないか。
やや感傷が強すぎるものの、「自己意識そのものがフラット化」「修辞レベルでの武装解除」(穂村弘「短歌の友人」棒立ちの歌)に、俳句では既に戦前、種田山頭火が辿り着いていたのかもしれない。そして、時代を越えて読み継がれていくのは結局、等身大の心の姿なのだ、と思う。
「草木塔」の後書きで山頭火は書いている。「うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。」 現代の「棒立ち」の作品の中にどんな叫びが聴こえるか、注目していこうと思う。
燃えに燃ゆる火なりうつくしく 種田山頭火
「山頭火と四国遍路」横山良一(写真と文)新潮社・2003年
(注)俳句の引用は青空文庫「草木塔」種田山頭火より。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000146/files/749_34457.html