自然がある。静かな暮らしがある。そして、詩がある。
中村梨々さんの作品は、等身大の温もりと、移りゆく四季や草木や身の回りのものを、一点に映し出す、さりげない魔法に満ちている。余韻が、作品の世界がその先も続いているように響く。ぼくは、中村さんの作品の余韻が好きだ。
詩集「青挿し」は、島根の詩人、中村梨々さんの、「たくさんの窓から手を振る」に続く詩集だ。冒頭の「二月の空は呆れるほど高い」を繰り返し読んで、散文詩の心地よいゆらぎ感を何度も味わう。この作品は、日本詩人クラブの第一回「新しい詩の声」最優秀賞を受賞している。
詩が、春の夜や、雨や、街の古びた駅のなかを、しなやかに飛躍する「春帰行」。
そして、ちょっと怖い「二十三夜」。一人で過ごす夜の感覚は、そうそう、こんな感じ。
「たくさんの窓から手を振る」の作品に見られた葛藤の影は遠のき、不安と悟りが入り混じった境地にいるようにも思える。
注目したいのは、詩集の中に、中村さんの短歌が散りばめられていることだ。
短歌は一行で構成されるので、音韻律以上のリズムや余韻を求めるのが難しく、言葉の飛躍や省略によっていかに想像や叙情を喚起できるかが勝負となる。その一行の中に、死生観や美学が圧縮されていることも多い。詩人・中村梨々の、短歌へのアプローチを鑑賞しよう。
いつまでも明けない夜は魂のこぼれたほうへつながっていく
魂のこぼれたほう、とは、作者にとっては詩を意味するのではないだろうか。
そして、
先生が水を汲む器は今も風の吹く野に置いてあります
水を汲む、は生前の思い出、器は、死者が残していった大切なもの、風の吹く野は、作者の心。そうすると、先生は、もしかしたら、作者の父を指しているのかもしれない。